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Posted by さがファンブログ事務局 at

東日本大震災 人的支援に参加して

3月11日に起きた東日本大震災からはや3ケ月になろうとしています。一部のメディアでは我々国民の震災慣れを懸念するかのような報道もありました。この間、遠く九州に住む我々は主に義捐金等や支援物資を被災地に届ける救援活動を行ってきましたが、炊き出しやボランティア等のいわゆる人的支援はなかなか、広がりを見せずにいました。    
今回、関心が少し薄れてきた今だからこそ、被災地がどのような状況になっているのか自分の目で確かめてみたい・・・そんな衝動に駆られ急な企画にも関わらず鳥栖JC楢崎理事長、佐賀ブロック岩永運営専務に同行頂きました





今回は飛行機のチケットを予約した際に福岡~仙台間の直行便がまだ開通しておらずに羽田~仙台間は新幹線を利用した為に移動に長時間を要しました。
土曜日~日曜日の2日間、九州地区協議会 防災確立委員会 藤木委員長(山門JC)に相談し宮城県は岩沼市を訪れました。
仙台市内に宿泊し、岩沼市まではレンタカーでの移動。距離は約20KM、時間にして約50分でありました。
毎朝8時15分に受付が始まり、一日約100人~200人のボランティアが全国より集まります。(GW時は一日平均が約500名)
ボランティアセンターのスタッフさんが被災者の方々から上がってきたニーズに合わせてマッチングされます。そこで我々が今日何をするのか? 決定されていく訳です。











マッチングの後にオリエンテーションを受けます。
通常、10人~20人で1つの班に分けられ、必ず班長を1名選任されます。我々の班は楢崎理事長が自ら率先して班長を務められました。心から尊敬します!!       作業上の注意や説明事項を確認し、必要な資材の準備をして出発します。全国からの救援物資が充実していた為、各自の作業着以外は全て貸出品として用意されていました。(ゴーグルや長靴、マスク、スコップ等々)






2日間の主な作業は家庭の庭や畑に覆いかぶさっているヘドロの塊のようなものや泥の撤去でありました。畑の土の上には海砂?のようなものが約10~20CM覆いかぶさっており、いつになったら再びこの土地に作物が育つのだろうか・・・そう考えると胸がつまりました。











実際に作業させて頂いた付近は海岸から約2KM離れていた為、車で海岸付近まで行ってみたのですが、写真で御覧の通り、TVで報道されている通りリアルな現実を直視しました・・・・。
唐津の町を例として例えて恐縮ですが、虹ノ松原位の面積の松原が全滅し、海岸から鏡山付近までが御覧のように全滅・・・・唐津工業高校付近まで津波が押し寄せ田畑は汚泥で覆われていると言えば何となく想像して頂けますでしょうか。

TVの画像や新聞の写真では分からない。
我々3人は五感で現場を感じる事が出来ました。 海水に侵された土地の塩っぽい臭い、ヘドロの鼻をつくような臭い、乾いた土地の粉じん等の誇り、そして今もなお続く余震・・・・。
確かに人々に笑顔も戻り、復興に向けて確かな一歩を歩み始めたものの、まだまだ本当の意味で元通りの状態になるまでには非常に長期間の時間と人手が必要であると感じました。

ぜひ佐賀ブロック協議会のメンバーの皆様にお願いしたい事は、できれば本年中に人数は何名でも構いませんので各LOM1回は岩沼を訪れてほしい。そして来年以降も支援に取り組んでほしい。 
我々は評論家でもなければ専門家でもありません。
行動する団体であります。 
少しずつではありますが片付けが済めば避難所や仮設住宅から自宅に戻れる人々が大勢、いらっしゃいます。

秋にまた必ず訪れたいと思います。まずは急な企画にも関わらず同行して頂いた楢崎理事長、そして岩永運営専務に心から感謝します。
今回の災害において被災された方々が一日でも早く元の生活が送れるように・・・皆様のご支援をどうぞ宜しくお願いいたします。
  


2011年06月11日 Posted by なかすぽ at 12:38Comments(0)日本青年会議所